とある少年の日記帳

兄と姉を一人ずつもつぼくにとって、妹はたった一人しかおりません。

とは言うても、その兄姉妹はみんな血のつながりのない子供。第三子であるぼくが、第一子の姉に恋しても、許されるべきことでありましょう。

実際ぼくらの育て親は、ぼくの近い親戚の若者でありますが、認めてくれております。何も言葉にはしませんが、きっと気づいているのでしょう。勘の鋭いあの人のこと、きっと気づいているのです。それでも無粋を嫌がって、静かに眺めているのです。

今日は、ぼくらの育て親が、いもうとを連れてゆきました。たった一人のいもうとです。ぼくはあの人に問いました。

何処へ行くの、川にでもいくの?

あの人は笑いました。

富士の樹海へ行くんだよ、前々からの約束事さ。

あの人がいもうとを、いろはをつれて出て行って、もう半日が経っております。そとは夜、暗くなってしまいましたが、いまだ二人は帰ってきません。姉兄は眠りました。ぼくも眠らねばいけません。月は昨日消えまして、欠片も昇っておりませんが、三日も待てばいいでしょう。きっと今朝方、親と妹はもどってきます。自殺の名所といいますが、樹海の夜はどんなでしょう。

樹木にロープが掛かるでしょうか。迷路に悲鳴が木霊すでしょうか。

むかし一度だけ入りましたが、樹海の洞穴は冷たいものです。暗く、寒く、孤独です。彼女はそれを好むでしょうか。ぼくにはとうてい分かりません。ぼくはそれが嫌いでした。

僕ら子供はみんないちど、親にすてられてしまいました。あの人はどうか、知りませんけど、姉も兄も僕も妹も、みんな親に忌まれております。誰も会いに来やしませんし、きっともう忘れたいでしょう。忘れさせてあげましょう。

妹はむかし、ほんとうの兄がおりました。その兄は名をナイトといって、双子の兄妹でありました。ぼくは双子と遠い親戚にあたるらしく、葬式などで見掛けたことがございましたが、幼い日のことであります。いもうとはもう、覚えていないでしょう。

さて、いろはがぼくのいもうとになったわけは、その双子の兄にございます。死んだのです。いろはの本物の兄、ナイトは、ワインなど飲んだ男の運転で、轢き殺されてしまったのです。悪いことには、彼女のめのまえで。

ドカッと衝突いたしまして、少年の身体は血しぶきをあげました。ぐったりと転がった、息絶えた少年は、骨が一部砕けていたと、双子に近い親類の大人が噂しておりました。はたして、大質量が叩きつけられたその右腕はたしかに異質にねじ曲がっておりましたが、いろははそれを目の当たりにしておりました。子供らしくまだ豊頬だった顔など、血がついて、彼女は呆然とたたずんでおりました。どの大人も、優秀な男の子が轢き殺されたと叫び、騒ぐのに夢中で、声も出さずに立っていた病弱な女の子など意識が向かずにいたのです。やがて彼女は、誰彼構わず心中を誘うようになり、ぼくのいもうとになりました。

あの人といっしょに、まだ末の子だったぼくが迎えに行きました。姉と兄は当時からよく頼れたので、新しい末っ子のための部屋を用意していたのです。あの子は一人で立っていました。約束していた待ち合わせの場所に彼女の親は来ず、彼女は一人でそこまで来ていました。

ぼくとあの人に気付くといろはは、人懐こい笑顔になって、今も変わらず少しだけ低い背でぼくをみつめて、そして言いました。

ねぇ、心中しましょうよ!

思えばあれから、いろはが心中の誘いをかけることは少なくなっているのでありましょう。心中という言葉の意味を知らず、困惑するぼくの代わり、あの人がこう言いました。

いろはちゃん、今まで君の心中の誘いにのった人はいるのかい?

いろはは首を横に振りました。

そう、それならば、ぼくがその誘いにのろう。

ぼくの記憶のなかで、彼女の瞳にはキラキラと灯りがともっておりました。大きな目にたまった涙に、電灯が反射したのやもしれません。

ただし、今ではないけれども。ぼくが君の誘いにのって、願いを叶える手助けをするに相応しいと思ったとき、ぼくは君と心中する。いいかい?

彼女は即座に、一欠片の迷いもみせず、うなずきました。

あの人がいろはを伴って出かけたことは、もう幾度と数え切れぬほどになります。いもうとが時折どこそこの川に行きたい、どこどこの山に行きたいと申すたび、二人出かけているのです。小さな荷物だけをもって、何日も帰らぬこともありました。いろはの願いが叶うにふさわしいときは、いつどこで、訪れるものでしょうか。

ぼくはせめて、二人がそのときを迎えるところが、暗くて寒い、コウモリが飛び交う洞窟ではないこと、ただそれだけを、望んでおります。

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