六枚目のデスマスク

私は、小さな田舎町の、ごく平凡な、そのころ多かった学問を不得手とする少年の一人として、育ちました。優れた子供などめったにおらず、ほとんどの子供が小学校を卒業するかしないかで町工場やら銭湯やらに見習い奉公に参るような、そんな時代に子供時代を過ごしたのです。

私めは小学校を第四学年で中退いたしまして、その前に聞いた話でしたから、十歳になるまえ、いまから六十年ほど昔に聞いた話でございます。

いまから考えるとよくよく不思議なものですが、この話を語ってきかせた青年は名を「なしょるとのりぃぜ」と云いまして、紫色の髪を娘のように長く伸ばしておりました。町のはずれにあった大きな古い屋敷に四人の若者たちとともに住んでいたのですが、衣も古い型の浴衣を着ておりまして、時折女物など着ていることもあったのですが、体つきがまた華奢なもので、女性的とも男性的ともいえぬ、妖艶な雰囲気をただよわせておりました。りぃぜは子供が好きとみえて、庭がほどよく涼しくなる夕方ごろなどは、町の子供を幾人かそのひざ元に呼び寄せて、いろいろな面白い話を語り聞かせてやっておりました。

あの話を聞いた日は、私一人しかりぃぜのひざ元におりませんでした。彼が呼び寄せなかったのか、子供たちがこなかったのか、どちらともわかりません。

りぃぜは幼い私に、こんなことを申しました。

「今日はおまえに、とくべつの話をしてやろうか。」

そうして、ふだんそこに集まる子供たちがするように、彼の足元にしゃがみましたら、彼は笑って、縁側に座るようにいいました。りぃぜが軽く叩いて示したそこは、彼のすぐとなりでありまして、他の子供たちはだれも座ったことのないとくべつのばしょでございます。私は戸惑いながら座りました。りぃぜは私に、「六枚目のですますく」という話をいたしました。

「ある不幸な男が、五人の子供たちを攫いました。

二人の幼い女の子と、三人の幼い男の子。

男はとても臆病だったので、子供たちを殺すことができませんでした。

幼い子供たちのために身代金を払う大人がいなくても、子供たちがオモチャで遊びはじめても、男は子供たちを殺せませんでした。

子供たちが攫われた数年後、警察に一枚のデスマスクが届きました。

六枚目に送られたそのデスマスクは、子供たちを攫った男のものでした。

可哀想な男は、一体誰に殺されてしまったのでしょう?」

と、こんな話でございます。

当時の私は、「ですますく」という言葉を知りませんでした。また「警察」についても、設立されたばかりの「警察予備隊」を指して言っているものだと思い込んでいたのです。ですが、それは間違いでございました。なぜなら、その当時、日本には「デスマスク」という言葉はなかったのです。そして今日、警察予備隊は警察と呼ばれているではありませんか。

りぃぜは一体、どこでこのような話を聞いたのでしょうか。

海を越えて異国にわたり、帰ってくることが困難な時代。たとえ渡航できたとしても、異国の言葉を解することはできません。そのうえ、当時はどこにも警察などなかったのです。

りぃぜは、いったい何者だったのでしょうか。

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