【第一章:少年ピエロ「クラウン」1】
初めてピエロ症の感染が確認されたのは、僕が八歳のときでした。
小学校で同じクラスの子が一人、夏の休暇が終わっても登校しなかったことがあって、そのまままる二週間姿を見せなかったのです。先生たちはその子について何も言いませんでしたから、低学年から高学年まで、ほとんどの生徒たちのあいだでさまざまな噂が立っていたことを覚えています。
その子の家が貧乏で、その子は学校でいじめられてもいたから、とうとう学校に来なくなっちゃったんだとか、夏のあいだに引っ越したんだとか、その程度の噂でした。誰もその子が夏のあいだにピエロになって、都会の街々を賑わし回っていたなんて考えもしませんでしたし、その小学校があったのは都会から山をいくつも隔てた田舎の小さな町でしたから、突然現れた子供ピエロのニュースも伝わっていなかったのです。学校が始まって二週間が経ってやっと、都会の方では小さなピエロが遠い田舎から来た子供であったことが分かり、田舎の方ではその子が全く家に帰っていなかったことが家庭外に露見したので、その子は家に送り返され、また学校に来るようになりました。
学校に来るようになったその子は、しばらくしてみんなからクラウンと呼ばれるようになりましたが、それはお客さんから何をされても笑うことしかできない「ピエロ」になったことを皮肉って、感情豊かにときにはお客さんをいじって巻き込みながらみんなを笑わせる職業の「クラウン」という意味もありましたし、ピエロになって帰ってきたその子が被っていた厚紙製のひしゃげた王冠(クラウン)を皮肉って、お金持ちの王様がかぶる立派な王冠とは違う、貧乏人のみすぼらしい王冠(クラウン)という意味もありました。
クラウンは学校に来ても制服は着ず、都会で街を賑わしていたときの派手で滑稽な服を着ていましたし、みんなを笑わせようと授業中にでもジョークを言ったり、先生に指名されて教科書を読み上げるときもわざとおバカな読み違えをしたりしました。学校で一番怖いと評判の僕たちの担任がいくら叱ってもそれは治らなかったので、とうとうクラウンは校長先生に呼び出され、クラウンが学校に来て三日目、校長先生に呼び出されたその日の夕方に病院に連れていかれました。校長先生に付き添われて保健室に連れられたクラウンを診た学校医が、クラウンをすぐに大きな病院に連れていくよう言ったそうです。
都会の大きな病院でクラウンはとても有名なお医者に診察され、その日すぐ精神科に入院が決まりました。クラウンが学校に来た三日間のあいだに、クラウンが夏の休暇中賑わして回っていた都会の街々でもピエロのような振る舞いをする子供たちが何人か確認されていて、その数は日に日に増えていたのですが、一番早くにそんな振る舞いをしてみせたのはクラウンだったので、彼はすぐに研究目的での入院を決められたのです。
クラウンが入院してから数日ののち、ピエロのような振る舞いをする子供たちはみな同じ病に掛かっていると診断され、その病は「小児性道化師症候群」、通称「ピエロ症」と名づけられました。