【第一章:少年ピエロ「クラウン」2】
クラウンを第一感染者として、だんだんと患者の子供を増やしていくこのピエロ症を研究し、対策するために政府が直々に「サーカス・サナトリウム(S・S)」を設立したのがクラウンの入院から三ヶ月後、ピエロ症に掛かっていない健康な子供を訓練して構成員としたS・Sの実動部隊「イノセント・サーカス(I・N)」が設立され、僕が第一期訓練生として入団したのがS・S設立の一ヶ月後です。僕は八歳で訓練生としてI・Nに入団し、その一年後に正式団員になりました。
訓練生のうちは、まだ幼かったことを考慮してI・Nの寮に入らなくてもよかったのですが、正式団員になるとそうはいかず、僕は家をでて寮に入り、まだ誰も入学していなかったイノセント・サーカス附属小学校に転校しなくてはなりませんでした。
年齢によって異なりましたが、本来なら僕も訓練期間は四年あり、ほかの子供たちと同じように十二歳を越えてから正式団員になるはずだったのですが、I・N団長に指名され、ほかの四人の同期訓練生たちといっしょに、特別正式団員になることが決まったのです。
家をでて、I・N寮に入らなければいけないということを僕が知ったのは、僕が特別正式団員になる、家をでる前日の夜でした。団長は、たった一人の僕の家族であるお母さんに手をまわして、僕が知らない間に全て進めていたのです。お母さんは、僕が家をでる前の夜、僕の額にキスをして、涙を浮かべてこう言いました。
「どうか無事に帰ってきてね、我が子よ。」
僕は小さな家にお母さんを一人残して、迎えのバスに乗りました。バスには団長だけが乗っていて、僕の敬礼に軽く頷いて答えました。
「イノセント・サーカス特別正式団員、〝手品師“チャールズ・コナー君。今日から僕が君たち特別団員の教育係で、世話係で、団長になるんだ。ぜひその敬礼を解いて、僕のことはパパと呼んでくれると嬉しいな。」
団長がトーア・エルスタと名乗ったときのことを、僕は今も覚えています。