【第二章:一年目のイノセント・サーカス寮1】
僕が特別正式団員になったその年に僕のほかに第一期正式団員になったのは、同じく特別正式団員として指名された四人だけでした。指名された僕たち五人はみんなまだ十二歳にはなっておらず、最年長のウーゴという少年でもまだ十一歳になったばかりでした。最年少は僕より二、三ヶ月生まれるのが遅かったまだ八歳の双子で、兄はレオナルド、妹はカーリーといいました。
迎えのバスで団長が僕を“手品師”と呼んだように、僕たち五人はそれぞれ特別な呼び名を団長から付けられました。
最年長で十一歳、南方の訓練所から来たウーゴ・セス・エルフィンストーン少年は“猛獣使い”。
二番目に年長で十歳、都会の中央訓練所から来たリコリス・ドミニク・オルコット少女は“歌姫”。
三番目に年長で九歳、西方の訓練所から来たチャールズ・コナー、僕は“手品師”。四番目に年長で八歳、東方の訓練所から来た双子の兄、レオナルド・アイン・ブラッドフィールド少年は“支配人”。
最年少で八歳、訓練所に入らず家から直接来た双子の妹、カーリー・アイル・ブラッドフィールド少女は“調教師”。
サーカス団員の種類分けをするようにつけられたこの呼び名を持つ団員は、それぞれが自分の小隊に属し、いつかは部下を持つことになると団長は言いました。
「君たち五人は一番の古参としてイノセント・サーカスに君臨し、幹部となって部下を持つだろうね。君たちの部下はおそらく全員が十二歳以上、君たちより年長になるはずだから、君たちは幼くして年上の部下たちをまとめるカリスマ性と、確かな実力を身につける必要がある。」
五人全員を迎えたバスのなかで、僕たちはまだ互いに名前も知らないうちに、僕たちの肩にのせられた責任と重圧とを知りました。
「そのために僕が教育係として君たちを育て上げ、世話係として全ての面倒を見、団長として君たち五人の前に立つんだ。」
運転手まで巻き込んだ冷たくて気分の悪い緊張の中で、僕はもう幼いままではいられない、何があっても大人らしく振舞わなくちゃいけないと覚悟しました。子供ながらにもあの時、まだ見ぬ寮に、とうとう全員を乗せて走り出したバスの窓際の席で僕は、もうお母さんをハグすることはできないし、お母さんにおやすみなさいのキスをしてもらうこともできないと悟ったのです。
「要するに、君たちはただ僕に世話されてくれればいいわけさ。僕が二年前に成人を迎えていて、君たちはまだ子供である以上、ね。」
団長はどうしても僕たちに、「パパ」と呼んでほしいようでした。ですが僕は、彼が「パパ」と呼ばれているところを聞いたことがありません。
まだ僕たち五人と団長しかいなかった寮は、初日のほんの少しの時間だけ、知らない空間と人への緊張に満たされていましたが、その日夕食のために広いダイニングルームに集まったときにはもうみんな打ち解けていました。
レオナルドは訓練所に入って少しの間訓練していたけれど、カーリーは訓練所に入っていなかったから訓練を受けていなく、成績優秀だったレオナルドの、家に残っていた妹の噂を頼りに団長がスカウトしたこと、リコリスは幼い妹と弟がいて、弟がピエロになってしまったので治してあげたくて訓練所に入ったことは、夕食前の自由時間にみんなもう知っていましたし、夕食後にリコリスが淹れてくれる紅茶はとても美味しいこともその日のうちに知りました。
寡黙で大人びたようにみえたウーゴも、実は「ハックルベリ・フィンの冒険」や「十五少年漂流記」のような児童書が好きなことは、三日目の朝の掃除中に僕とレオナルドとウーゴの寝室で、僕がその本を本棚のすみに見つけたことで分かりましたし、同じく読書好きで「ハックルベリ・フィン」と相方の物語「トム・ソーヤの冒険」が好きだったカーリーがウーゴと一緒に本を読む姿が見られはじめたのはその日の夜の自由時間からでした。
僕たちはすぐに打ち解けて会話を楽しみ、仲良くなって一緒に遊びました。I・N幹部として活動するための、今までよりもっと本格的な訓練が始まったのは寮に入って四日目からでしたから、最初の三日は朝の掃除と食事、毎日の入浴、就寝時間以外ほとんど自由時間だったのです。三日間、僕たちは寮のさまざまな施設を見て回りました。それぞれ通っていた今までの訓練所の、どれよりもずっと広い訓練施設、授業のための教室、広く静かな図書館、そして木陰が気持ちいい中庭がありました。
訓練が始まってから、僕はよく昼の休憩時間にリコリスを誘って中庭を散歩しました。中庭は寮内のほとんどの施設につながる道でもあったので、訓練でのかけ声や衝撃音が聞こえたり、図書館の窓から勉強中のカーリーが手を振ってきたりしたことを覚えています。
僕たちは広くて素敵な寮を一年間僕たちだけで使えたかわり、小学校卒業までの課業と中学校でぜひ学ぶべき数学と理科、社会の地理・歴史の知識をその期間に全て頭に詰め込み、次の年から訓練を終えてくる年上の部下を纏め、仕事でも成果を上げられるだけの実力を身につけることを求められました。
基礎となる体力、運動能力を鍛える訓練と授業が毎日欠かすことなく入っていましたが、その分量や割合は一人ずつ違っていました。
僕はとくに地理と歴史の授業が多く、時間があるときには授業から発展した内容の歴史書を読むことを団長から勧められました。僕は“手品師”として、ほんの二、三人の部下だけを助手として実動部隊を動かすための作戦立案を担当することになっていましたから、相手の動きを予測し、こちらの動きを決めるために地域の地理や気候、歴史上の戦法などを熟知する必要があったのです。攻撃性のない、ただ大人しく人を笑わせようとするだけのピエロを相手取った作戦に専門的な歴史書の知識が必要なのかは分かりませんでしたが、歴史書を読むことは僕にとって苦痛ではなく、むしろ興味深く、楽しいことだったので、僕は一年のあいだにたくさんの歴史書を読み進めました。ほとんど毎日図書館に通って歴史書を読み漁ったので、一年が経った頃には図書館の歴史書コーナーの配置をほとんど覚えてしまっていたくらいです。
図書館にはいつも先客がいましたが、その頻度は先客がいない時間を狙って入るのが難しいほどでした。先客は決まってカーリーで、訓練所に通っていなかった彼女は“調教師”として二年目からサーカス・サナトリウム本部に通い、本部の大人たちに混じってピエロ症の研究をすることが決まっていたので、そのための知識を学んでいたのです。カーリーの授業はほとんどが座学で埋まっており、訓練に参加するのは二日に一、二時間程度でした。カーリーの次に訓練が少なかった僕でも一日に二時間は訓練がありましたし、訓練が多い三人は毎日午前の授業のあと四、五時間も訓練がありましたから、彼女の訓練はほんのわずかで、授業時間のほとんどを座学に充てていたことが分かります。
二年目から実動部隊としてそれぞれ十名ほどの部下を率い、ピエロの保護をすることが決まっていた“歌姫”リコリスと“猛獣使い”ウーゴは、ピエロの目撃情報や通報に応じて各地を次々に移動し、長期間連続する任務を無事に遂行するために体力をつけるための訓練が多く入っていました。また、ピエロが愉快な音楽によく反応すること、保護されたあとの精神療養のために人の声による穏やかな音楽が効果的だと考えられていたことから、リコリスの部隊には美しい歌声で選ばれた団員たちが集められることになっており、リコリス自身の授業にも毎日一時間、訓練の一つとして歌の授業がありました。
レオナルドはとくに訓練所で示した高い成績を買われて、“支配人”として団長の指導のもと部下たちを訓練する本来の任務だけでなく、彼自身が選んだ何人かの部下とともに、要請があれば援軍として“歌姫”や“猛獣使い”の部隊と活動するようになっていましたから、リコリスやウーゴと共に訓練時間が多く取られていました。
訓練が始まると、僕たちはそれぞれの時間割が合わなくなり、訓練が始まる前の最初の三日間ほど長い時間を一緒に過ごすことが少なくなりました。全員が学ぶべき教科の授業が朝から、個別の教科がそのあとからで、訓練は座学が終わってからと決まっていて、朝からの座学が毎日五人で、座学のあとの訓練は重なれば、自由時間や食事の時間以外も一緒に過ごせたのですが、カーリーの訓練の時間がとても少なく、リコリスたち実動部隊の座学の時間も多くはなかったので、時間が被ることはあっても長くはなかったのです。
五人で一緒に過ごせる時間が短くなった分、僕たちはバラバラに過ごす休憩時間が長くなりました。
授業が多く、普段の授業でもときどき図書館を利用していた僕とカーリーは、授業後の休憩時間をよく図書館で過ごしました。その日最初の休憩時間に、高い本棚に囲まれた長いテーブルのお互い少し距離を置いた定位置に座り、脆弱な見かけより丈夫な本の塔を読み終えた本で縦に伸ばし、手が届かなくなれば横に列を増やして半円形の要塞を増築しながら、ときおり授業のために席を立ち、疲れれば散歩に出るのが図書館に流れる毎日の時間でした。とくにカーリーは一度読書に集中すると周りが目に入らなくなり、少し動くにも本から目を離さなかったので、夕食直前になって積みあがった本の要塞に驚き、片付けることを考えて面倒くさそうに顔をゆがめていたことがあって、懐かしく思い出されます。
僕は読書だけに熱中するよりも、実動部隊三人の訓練や自主練習でときどき響くスタートダッシュのピストルの音や笑いながら動き回ったり話したりする楽しそうな声、中庭でよく歌っていたリコリスの歌声を聴きながら本を読む方が好きでした。親友たちの声を聴きながら本を読んでいると、とても穏やかで暖かい気分になりましたし、“歌姫”の座についていたリコリスは誰よりも優しく澄んだ歌声の持ち主でしたから。