【第三章:たった九歳のI・N幹部 1】

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【第三章:たった九歳のI・N幹部1】

およそ二年間、訓練所と寮で訓練を受けただけのたった十歳の少年が、初めて自分の部下を迎える前の晩に大人しく眠ることができるでしょうか。

部下になるはずの年上の子供たちが乗ったバスを待つ朝に、いつも通り元気に朝食を食べることができるでしょうか。

僕にはできませんでした。緊張と、そこからくるふさぎ込んだ気分が未だに立ち込めるあの日の朝の記憶が正しければ、あの朝部下になる訓練生たちを乗せたバスを待っていたリコリスとレオナルド、ウーゴも同じだったはずです。

“調教師”カーリーは訓練生たちを降ろしたあとのバスに乗って、あの日初めてS・S本部に出向くことになっていましたが、僕たち四人とは違って朝食の席に出てきさえしませんでした。普段の明るいリコリスからは考えられないほどの暗い顔で呟いた彼女の言葉によると、前日の夜、カーリーは支給されたばかりの袖やすその長い大きな白衣を着こんでベッドにうずくまっていたそうです。過度の緊張に押しつぶされそうになりながら、カーリーは一睡もせずに夜を明かしたのでした。

彼女はあのときまだ九歳でしたが、たくさんの本から知識をかき集めた聡明な、そしてもとより純粋で敏感な少女でしたから、もしかしたら何か感じ取っていたのかもしれません。毎朝団長が彼女をS・S本部まで送り届け、夕方にはまた迎えに行っても、S・S本部に彼女が一人残されているあいだ、団長の手は彼女を守ることができなかったのですから。

I・N寮に寝起きし、イノセント・サーカス附属小学校の授業として座学や訓練を受けているあいだ、団長の視線はいつも僕たちに注がれ、僕たちもすぐ団長に振り返ることができました。一年の訓練期間が終わり、僕たちが幹部として部下を持ち、本格的に活動することになっても、数日の間僕たち四人は寮に留まったまま、団長の指揮の下で活動することができました。S・S本部にたった一人呼び出されていたカーリーを除いた、実動部隊と僕の四人だけは。

結局あの朝出発ギリギリまでベッドの上にうずくまっていた彼女は、寝室のドアをノックするため歩んだ団長の足音に反応して自らドアを開け、酷い顔色のままバスに乗り、S・S本部に出頭しました。

各々に用意された部屋へと向かう三十名ほどの第二期正式団員たちが、団長のすぐ後ろをついて歩く小柄な白衣を着た少女を見つけたときのあの目を、僕は見ました。彼らはS・S本部へのバスに乗ろうとする“調教師”ブラッドフィールド幹部への義務的な敬意だけをもって彼女を見て、普通の小学生や中学生くらいの子供なら当たり前にするはずの、I・N寮に入る前の小学校時代の記憶では誰もが聞いて、しゃべっていたうわさ話の一つもせずに、ただ今抱えている自分の荷物を部屋に入れるために無表情で歩いていました。

また、過度の緊張と睡眠不足から体調を崩し、昼ごろに戻ってきた迎えのバスで寝入ってしまったカーリーを抱いて運ぶ団長とすれ違ったウーゴを、僕は遠目に見つけました。ウーゴは慣れない部下との接触に疲れ、俯いてはいましたが、団長に気づいて顔をあげ、その腕の中で青い顔をしたまま眠っているカーリーを見ると驚き、縋りつくように団長に尋ねました。きっと、「カーリーはどうしたんだ?」と訊いたのでしょう。あとから、寝室に彼女を寝かせ、毛布をかぶせて出てきた団長に僕が同じようなことを尋ねると、団長は穏やかに微笑んで答えました。

「昨日眠っていなかった上に今朝から何も食べていないから、緊張で疲れすぎたんだ。カーリーは大丈夫だよ。」

僕はあの時、ウーゴの反応が正常で、団員たちの反応が異常だと気付くべきだったのです。いくら面識のない年下幹部を相手にしても、あれを見たすべての団員があれほどの無感動であるはずがないと。愚かにも僕は、僕の部下になった三人の第二期団員に馬鹿にされないように体裁を繕うことに必死だったので、そのことに違和感を持っても、深く考えることはしませんでした。

僕の部下になった三人は、全員が中学生にあたる十三歳以上でした。僕と一番年が近かったのは中学校一年生の男子団員ジャックで、僕は団長の勧めのままにジャックを助手に選びました。あとの二人は中学校二年生で、男子団員がセラン、女子団員がジニーでした。彼らは僕と同じ第一期訓練生で、ジャックが小学六年生から、セランとジニーが中学校一年生から、僕たち幹部と同じだけの期間、二年間訓練を受けて正式団員になりましたが、訓練所は僕が通っていたころより規則が増え、厳しくなったらしく、彼らはいつも無口で、ただ僕や他の幹部たち、団長から任せられた仕事だけをこなしました。

部下を持たなかったカーリーをべつにすれば、僕は幹部のうち一番部下が少なく、“支配人”レオナルドは五人、“歌姫”リコリスと“猛獣使い”ウーゴはそれぞれ十人近くの部下がいました。僕たちは無口で無感動な部下たちに馬鹿にされないように警戒し、僕たちが幼くして幹部に選ばれたことは必然だと思わせるように常に大人び、特別に見えるようにあろうと骨を折りました。

カーリーといっしょに、穏やかな休息を求めて通った図書館には、ほんの少し寄ることもやめました。リコリスとよく散歩した中庭もただ移動のためにしか使わなくなり、就寝時間まで五人でダイニングルームに集まってくつろぎながら、団長が語ってくれる物語を楽しみにすることもなくなりました。幹部と団員たちの生活棟はべつで、僕たちのダイニングルームに部下が来ることはあり得なかったので、寝る前の僅かな時間、団長が語ってくれる素敵なお話を聞いていても部下には見られなかったのですが、僕たちはいつも、どんなときでも気を緩めて油断してはいけないと思っていたのです。たとえくたくたに疲れていたとしても、部下たちにあてがわれた食堂とは離れたダイニングルームで夕食をとるとき、椅子の背もたれに少しでも背を付けることはありませんでした。そんなことはだらしなくて、僕たちが絶対にならないといけないと思っていた気品ある特別な幹部像とはかけ離れていたのです。

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