反り返るほど見上げても、頂上の予感すら与えてくれない高層ビルたちが、優雅に立っていた。
雨が降っていて、夜の街は黒く、シネマやショップの足元だけ明るかった。ここに来るまで知らなかったけれど、これこそが東京だと僕は確信した。人間の世界、のどを冷やす空気、暗い空と強い照明。誰もいないような心地がする、芸術の舞台に適した都市。
『東京』に来て、僕は一人で、過ごした。
周りには修学旅行の一団がいて、僕もそれに組みしているけれど、それでも僕はひとりだった。ここは『ひとりでいるための都市』だから。黒い地面が局所的に丸く照らされていること、さらさらと綺麗な雨が降っていること、空気がのどと肺を通じて体をひんやり冷たくすること。これらはすべて、ひとりでいるための都市『東京』の証。
雨が降っていたから、誰もかれも傘をさしてシアターに急いでいた。都市国家のような景観に人が詰まっていることは作品『東京』として本当に残念な点だけど、ここでは日夜多くの舞台が見せられていて、これらは表現者として優れたパフォーマーたちが作っている、これはとてもいいと思う。たっぷり詰まった人のために、日夜きらびやかなガラス玉が散りばめられ、嵌め込まれている。
シアターで演劇を堪能した後、今夜のホテルに帰る道中、僕はそっと列を離れ、修学旅行の一団を抜けた。
財布と上着と折りたたみ傘のカバーを仕舞いこんだバックパックを背中に揺らして、柄の短い傘をさし、僕は『東京』を走った。雨傘の内側で音が何度も跳ね返り、水たまりを踏んだ靴の音がきれいになって聞こえた。計り知れない、何よりも現実的な、威厳あるビルを、僕は傘を背後に傾けて見上げた。それは立ち止まった時に、ちょうど僕の意識を引くところにあったビル。修学旅行の列を離れたから、小さな雨粒に濡れようと誰も僕を咎めない。傘が重力に従おうとするのを手にかかる負荷で感じながら、それを見上げた。
高潔な感じの社会に現存する芸術は、とても高い階層で照明を窓から漏らし、大気を丸く染め抜いていた。意地悪なことには、まったく足元を照らさず、ささやかな誘いの入り口も示してくれない。そしてそれは、やっぱり見上げても、反り返るほど見上げても、上層階を匂わせることをしなかった。
『東京』を都市国家風な芸術にしているのは、現代をありありと感じさせる無機質なビルだろう。僕はそう思っている。
修学旅行の一団が帰る日になって、僕を見つけられないまま帰りのバスに歩いていっても、僕は乖離を反省して立ち返り、また一団に所属しようとしなかった。あの一団は東京に来たのであって、『東京』を知らないから。芸術を住居としているくせに、それが芸術であると気づかない一隊だったから。僕はあの一団が列になって歩き、もわっと広がったり、分断したりしながら、バスに向かって楽しそうに行くのを、彼らよりいっとう高い歩道橋の上で見下ろしていた。彼ら全員が乗り込んだバスが、出席を取ったり車内での禁止事項を確認したりするのに、少し時間を取って出発するまで。
僕が帰らなかったのは、家で心配して僕を待つママに、さらに巨大な心配を積み上げたのは、悪魔が僕を誘ったから。ということにしている。