ペットショップの水槽というものは、歩く人の足を止める魔力がある。なみなみと淡水をたたえて赤い金魚をたくさん泳がせるぶっきらぼうな水槽も、小さなのがいくつも無機質に並んで、鮮やかな雰囲気の魚を魅せるショーウィンドーを務める水槽も、前者は子供、後者は大人の足を引き留める。水槽のなかに水をたたえて魚が泳ぐ、一体化して完成した美しさ。
あるとき、ペットショップの魚類コーナーで一段と大きな特別の水槽に、立派な二匹が投入された。二匹に従って、水は上品になり、静まった。一匹は水槽の黒い底面を這うプレコという茶と黒のまだら模様。これは大型というより中型の魚で、魚類コーナーの生き物たちの二番目の王になった。もう一匹は、プレコを気に掛けず悠々と泳ぐ、ゴールデンアロワナ。全体を見ると乳白色が綺麗に輝き、鱗の一枚ずつが金色に反射する。これは紛れもなく一番の王。水槽の横幅よりやっと少し小さな体で、水槽内を退屈げに廻る。
さて、アロワナが何度あてがわれた水槽内をめぐったときか、ペットショップに一組の親子が訪れた。子供は魚類コーナーの入り口で母親の手を振り払い、「このコーナーにいる」と約束し、ずんずんと一人進んでいく。慣れた足取りで、その両肩には慣れと幼さゆえの不完全な自信が乗っている。小さく鮮やかな熱帯魚のショーウィンドーを歩きながら流し見し、赤一色の金魚、肌色一色のメダカの二つの生き餌水槽にはいちいちしゃがみ、そのガラスを指先で叩いて群れの動きを操り、そして顔を上げたとき、大トリ、あの特別の水槽を見つけた。少女の目に光がさし、笑みがあふれ、両手をさし伸ばして、走り寄る。少女が前回来たときは、先週は厳粛な雰囲気の熱帯魚専門センターに行ったので二週間前の週末は、水槽は空だったのだ。水だけが入っていて、生き物を飼うために大切な水のろ過装置さえ設置されていなかった。つまり、水槽には何も泳いでいなかったばかりか、そこに次が投入されることの予告さえしていなかったのだ。そのために二週間前少女はふてくされ、先週の週末は熱帯魚専門センターに行き先を望んだのだが。
大きな水槽を指先でトントン叩きながら、少女は完成した水槽を一心に眺め、味わった。完璧な出来上がりだった。彼女は歓喜のままにアロワナのすらりと切れ上がった鼻先をガラス越しにつついて魚の気を引き、ぐるりぐるりと廻るばかりの進行方向の決定権をもらおうとした。
「綺麗なアロワナね、わたし初めてアロワナに会ったわ。」
アロワナの進行方向の決定権は、なるほど高級な魚らしく、よっぽど上等な代物だと少女は感じた。実際、気ままにショーウィンドーの中で泳ぐいけ好かないエンゼルフィッシュなどとは違って、アロワナはその進行方向をいずれ少女にゆだねるつもりだったが、まだ少しの間渡そうとはしなかった。少女は経験上、ショーウィンドーの中の生まれつき着飾ったチビどもは決して操られようとしないことや、単色の餌用金魚たちはたやすく操られることを知っていた。そして、このアロワナも彼女の指の動きを見て、泳ぐだろうということも。
「あなた、名前はなんていうの?きっと無いわよね、だってあなたこそここの王者なんだもの。王って呼ばれるはずよ。」
少女は、新しくこの水槽をあてがわれた魚たちが何者か、一目見たときからよく心得ていた。だから、ペットショップで母親を早々に切り離して歩いてしまうほど、自己のすべてを疑いもなく自慢して歩くほど、根拠のない自信家の彼女でも、水槽から一歩引いて膝を曲げ、教えられたことのない敬礼をした。一番の王のアロワナと、二番目の王のプレコに。
「あなたのこと、わたしはメアリ・ジェーンって呼ぶわ。ねぇ、きれいなゴールデンアロワナ。あなたに会いに、毎週、七日か六日ごとに、ここに来るわ。」
彼女はアロワナの鼻先のガラスと、プレコの目の前のガラスをツンツンとつついた。二番目の王者はぶわぁと尻尾を振ってそれに応えた。少女はアロワナとプレコと、同時に対話していた。アロワナの赤みがさした眼をじっと見つめ、プレコとは指先と尻尾をちょっと動かし合うことで。
「あなたのことが大好きよ、プレコ。あなたはこの魚類コーナーの王の一匹。」
少女の背丈は、棚に据えつけられた水槽の頑丈なふたよりも低く、目線は泳ぐアロワナを見上げも見下ろしもしない高さだった。だから、彼女は自然と水槽の内と外を隔てるガラスが無いと見立てて、頬を膨らまして息を止めた。
二匹と同じ水の中で、愛情に満ちた声を出そうとして泡をかぷりと吐き出し、満足して優しく微笑んだ。