「絶対にイヤ」なことから逃げたユキちゃんの話

俺はむかし、お互い「ユキちゃん」「ライくん」と呼び合う仲の幼馴染がいた。

保育園時代からの友達で、小学校高学年までいつも一緒に遊んでいた。小学校高学年になると、それぞれ違う友達グループに入ったから、遊ぶことはほとんど無くなったが、それでもときどき一緒に帰ったりはしていた。

ユキは小学校四年生ごろから、とある進学校に行きたいと言うようになった。地元県では有名な中学校で、学期ごとに配られる通信簿を人の判断基準にしていたユキにとって、そこに進学することはそうとう魅力的だったらしい。事あるごとにその中学校の名前を出し、「絶対行くんだ!」と笑っていた。おそらくあの頃は、まだ「受験勉強」の存在を知らなかったのだろう。

小学校五年生の冬休みから、ユキは受験勉強を始めた。進学塾に通い始め、毎日何時間も勉強するようになった。あのユキのことだから、多少は遊んでいたのだろうが、毎日勉強に追われるストレスのほうが遊びの楽しみを上回ったらしい。いじめもどきを受けていることも重なって、ユキの表情はどんより、険しくなっていた。

小学校六年生頃にはストレスから友好関係を保つだけの余裕もなくしていて、浅い友好関係の女友達には吐けないような苦痛や弱音は、ほんのたまに一緒に帰る俺に全て吐き出されていた。

「絶対に地元中には行きたくない。」

「今のクラスメイトと一緒の中学なんて絶対にイヤだ。」

死んだように曇った目で地面を見つめて歩きながら、ユキはいつも呟いていた。

地元の中学には行きたくない、今のクラスメイトと一緒の中学はイヤ。

ユキが憧れの進学校を目指す理由は、いつしか「絶対にイヤ」な地元中から逃げるためになっていた。

それが、ユキの受験にとっては幸運だったのかもしれない。

ユキは寒い冬の試験にハイスコアをたたきだし、憧れていた中学校からの入学許可証を受け取ってみせたのだ。

「絶対にイヤ」なことから逃げるため、困難なことを成功させる。

ユキが特殊な能力を持っているとすれば、彼女の能力はきっとこれだろう。中学校受験を始め、彼女は何度か「絶対にイヤ」なことから逃げるために困難を成功させていた。

そのうちの一つは、両親の喫煙をやめさせたこと。

ユキの両親は、ユキがうまれる前から相当のヘビースモーカーだった。だがタバコ臭さが大嫌いだったユキは、小学校時代に取り交わした両親との約束を果たし、禁煙させることに成功したのだ。

大学、社会人レベルの知識を要し、六千字もの漢字から出題される漢字検定一級を取得すれば、禁煙を考える。小学校卒業レベルの漢字検定五級を取得し、舞い上がったユキが、タバコ臭さから解放されるため、半ば勢いで両親と交わした約束だった。地元中学校に入り、高校受験で焦る俺とは正反対に、高校受験の心配がないユキは、中学校三年間、高校での二年間を漢字検定に費やしていた。そうして見事、「大嫌い」なタバコ臭から逃れた。

また一つは、小説家になったこと。

毎日流れる不正と過労のニュースに、就職への不安を抱いたのだろう。

ユキは高校のうちから小説を発表し始め、大学生の間に小説家として自立した。

「どうしても就職したくない。」

大学進学に悩むユキが、よく零していた言葉。ユキはまた、「絶対にイヤ」な就職から逃れて小説家になった。ユキの小説は何度か読んだが、主人公が自殺するか、絶望の果てに失踪するバッドエンドが多く、お世辞にも万人受けするとは言えなかった。だがそれは、彼女が静かに育んできた闇を吐き出した結果なのだろう。

ユキの闇と特殊な能力は、彼女の心まで染め上げている。

昨日までユキは、「大人になりたくない。」と言っていた。二十歳を超えれば、もう大人になる。そして今日は、ユキの二十歳の誕生日だ。

今日ユキは、大人になることから逃れるために、何らかのアクションを起こす。午後の講義をサボって帰ったのは、きっとそのためだろう。

「水音、事務室に雪徒のご両親がいらしている。事務室へ行け。」

「はい、教授…ユキが、どうかしたのですか?」

「ご両親を待たせている。急いで行くように。」

ユキがサボった講義の途中、呼び出された事務室にはユキの両親がいた。おばさんは俯いてしまっているし、おじさんの表情も暗い。

「どうしました、おじさん。ユキが、何かしたのですか。」

「雷徒くん、あの子は最期に…貴方にメールを送ったようなのよ。」

「え、ああ…今まで、ありがとう。ライへ…ユキ、まさか!」

「ああ、そのまさかだ…レイは…君の言うユキは…自殺したよ…」

ユキは、「絶対にイヤ」なことから逃げるためなら、どんな困難なことも成功させてきた。

大人になることが「絶対にイヤ」だったから、自殺することも成功させてしまった。

ユキは、「絶対にイヤ」なことから、逃げなかったことはなかった。

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